歴史
郡上八幡には、古くから郡上織と呼ばれる織物の伝統が受け継がれてきました。
昔、この里に落ちのびた平家の落武者たちが、野性の蚕糸を使い、都の感覚で織り始めたのが発祥といわれます。
風土の持つ素朴さに大宮人の優雅さを加えたこの織物も、江戸期に入ると急速に衰え、その後は農家の自家織として、細々とその技術が伝えられてきたに過ぎません。
この郡上織の伝統を、戦後、見事によみがえらせ、「郡上紬」として再興、発展させたのが宗広力三氏です。
氏は、戦前は県下の青年開拓活動のリーダーとして活躍、戦後も青年たちを率いてこの地に開拓の根を下ろしました。
食べるものとてない極貧の生活のなかで、郡上織を見い出し、不屈の闘志で現在のように豊かに花開かせるまでに至っています。
しかし、それまでの苦労は筆舌に尽くし難いほどでした。昭和二二年、浅井修吉氏(初代京都染色試験場長)の協力を得てエリ蚕の飼料であるヒマと神樹を植樹。
ところが、その年は日照り続きで発育せず、数年かけて自ら品種の改良も行い、ようやくエリ蚕の飼料に使えるようになりました。
技術的にも農家の土蔵や屋根裏に放置されていた江戸時代の高機を手直しし、残されていた古い縞帳を参考に研究を続けました。
その後も宗広氏自身で納得のできる色、柄、織りを作り出すための苦労は続き、今、その苦労も報われるほどの郡上紬が世に出ることになったのです。
技法
郡上紬の深味のある色合いは、独特の草木染めから生まれます。
黄は刈安、黒は阿仙薬(カチキュー)、紺や青は、藍などこの地方に産する天然の植物を使い(藍は徳島産のものとミックス)、
何回も何回も数を重ねて染めあげる手法がとられています。
このように徹底して染めに時間をかけ、コクのある、そして堅牢な色に仕上げていくのが、郡上紬の特徴です。
中でも刈安と呼ばれる植物は、この地方の同名の場所に群生していたとされ、まったく異なった渋味のある黄色が得られ、郡上紬独特のものとなっています。
郡上紬の経糸には、節糸の玉繭が使用されています。
これは郡上紬独特のもので、織りにくさという難点にもかかわらず、織りあがりの美しさという点を評価して、特に採用されているものです。
郡上紬では、この経糸にかける撚りが大きな一つの勘どころとされています。また、緯糸には春繭からとった本真綿の手紡ぎ糸が使われます。
また高機で織るのも、郡上紬の特徴です。昔ながらの繊細な感触を持つこの織機で、すべて、手織りによって織られる紬は、織る人の性格がそのまま現れるといわれます。