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 久留米絣

  久留米絣

特徴

絣はインドで発生し、日本へは沖縄を経て本土へ伝えられました。 そのなかでも紺と白のすがすがしい調和のなかに、木綿の持つ素朴さをじっくりと味わわせてくれるのが、久留米絣です。


すでに戦前から、久留米地方の大きな産業のひとつとして発展した久留米絣は、現在では大半が機械化の方面をたどっています。 しかし、ごく一部ながら、絣手くびり、正藍染(しょうあいぞめ)、手織といった昔ながらの久留米絣の伝統をしっかりと守った技法が受け継がれています。


これが本場久留米絣であり、素朴な木綿の感触、シンプルな柄、そして精巧を極めた織り、さらに深味をたたえた藍の色・・・・など、本物だけが持つ味わいは、 みごとというほかはありません。


なかでも、洗えば洗うほど色が冴えてくるのが久留米絣の藍であり、使い古された絣の色は、独特の美しさを持っています。 こうした久留米絣のよさは、気の遠くなるような根気と長い間の熟練のなかから生み出されます。


伝統の技法を忠実に守りながら、そのなかに作者自信の感覚を柄の趣向に生かす精進と努力が、現代人の心に通うすぐれた作品を生み出すのです。 なお久留米絣には傾向として大柄のものと小柄のものがあり、久留米地方でも、大柄のやや派手なものは平野部で、


やや地味な小柄(蚊がすり)などは山間部で織られています。 前者を代表する作者が松枝玉記氏、後者を代表する作者が森山虎雄氏で、ともに重要無形文化財の技術保持者として指定を受けています。


歴史

久留米絣は、井上伝(一七八八~一八六九)によって、一九世紀の始めに創案されたものです。 当時より、領主有馬家の質素検約令によって、絹に代わって綿服が奨励された久留米地方では、綿織物が盛んでした。


小さい頃から木綿織の名手として知られた彼女は、ある日、ふと平素着古した衣服をみて、「加寿利」模様のアイデアを発見したといわれます。 以後、井上伝はこの絣の改良に心血を注ぎ、創意工夫を重ねて、ついにはみごとな織物として完成させるに至りました。


これには、近所に住む田中久重のアドバイスと、彼が発明した絣の織機が大きい影響を与えましたが、彼は後に、からくり儀右衛門と呼ばれ、日本の大発明王となった人です。


井上伝によって創案された久留米絣は、明治に入ると近隣の農村に広がり、やがては、この地方の産業として、急速に発展するようになりました。 この間、井上伝の志を継ぐ絣作家も幾人か現れ、久留米絣の技法と芸術性を高めていったことも忘れてはなりません。


技法

本物の久留米絣は、すべて人間の手先の枝から生まれます。


重要無形文化財として指定されている久留米絣は、その指定の条件として、「手くびりによる絣糸を使うこと」「純正の天然藍で染めること」「投杼の手織機で織ること」があげられており、 その技法は、昔ながらの伝統として今も守られています。


手くびりは、粗苧(あらそう)と呼ばれる麻の表皮で、セイロで蒸し、皮をはいで乾燥したものを使い、指先で紬糸を括っていきます。 このくびりの巧拙は絣の生命といえるもので、鮮明な絣を作り出すためには高度に熟練した技術を必要とします。 また、純正の天然藍と指定されている藍染めは、藍建ての仕事から始まります。


一〇日から一五日、カメのなかで自然発酵させ、大切に育て、色の薄いカメから順次、濃いカメに浸すことを丹念に繰り返していきます。 藍は生きものといわれ、常に色や泡の具合いを見たり、舌で味わうなどして最高の状態に保っておかなければ、決してよい色は出せないといわれ、 手数をかけてこの作業を繰り返していきます。


藍染の中で特に難しいとされているのは、中藍(ちゅうあい)と呼ばれる明るい紺の染色です。 松枝玉記氏が考案した中藍は、濃紺にくらべムラになりやすく、一定の明度を保った氏の中藍の染色は至難の技の一つです。


このように久留米絣の美しさは、人の手と心の緊密なつながりのなかで、一反一反長い月日と手数を経て生まれてくるものです。


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