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  八重山上布

特徴

日本の一番南に位置する沖縄県。この沖縄本島よりさらに南に位置する石垣島を中心に、八重山上布は織られてきました。


蒼い海に浮かぶ石垣島は亜熱帯の気候で年中暖かく、緑濃い山々には福木、モモノ木、八重山アオキ、蘇芳の木、ヒルギ、紅露(クール)などの染料となる植物が自生しています。


また歴史的にもインド藍、琉球藍、紅花などが存在し、多くの植物染料そして苧麻(チョマ)や芭蕉といった繊維植物も育んできました。 八重山上布は、夏の暑さの中で白さが涼やかな印象を与えてくれる織物で、苧麻から糸を取り、自生している豊かな植物を染料として模様を染めて機にかけ、 布に繰り上げたものです。 かつては「赤縞上布」と呼ばれた白地に紅露の茶系で染めた絣としてよく知られていました。


歴史

八重山上布の起源については明らかではなく、歴史に登場してくるのは薩摩の琉球支配の前後からといわれます。 その昔、沖縄が琉球王国であった時代、八重山上布は女性に課せられた貢布でした。


1609年、薩摩の島津氏の琉球侵攻以後、1637年には宮古、八重山に人頭税がしかれるようになり、さらに一定の額を村に割り振る税制に改められ、 これが明治時代の廃藩置県後の1903年まで続くことになります。 人頭税は、15歳から50歳までの男女に課された税で、女性の場合は布を納めることが義務づけられました。


貢布には白上布、白中布、白下布を課した定納布と、白細上布、紺縞上布、赤縞上布などを織る御用布がありました。 この御用布は国王や士族あるいは薩摩からの特別注文の布で、御絵図(王府内で作成した絵形)という下絵に基づいて、 色、柄、染色にいたるまで細かい指定がいくつもあり、どの工程も厳しい監督下で織られたといいます。


しかし、現存する王国時代末期に織られた八重山上布や、八重山に送られてきた御絵図を見ると、必ずしも白地に限っていませんでした。 福木で染めた黄色や紅花で染めた薄い桃色なども見られ、色彩も豊かであったことがわかります。


その後、時代を経るごとに御用布に対する注文も多くなり、紺地の宮古上布に対して、白地の八重山上布のイメージが定着していくことになります。

技法

往時の絣織の技法は、括り染めで「地括り式」という熟練した手と細やかな配慮が要求される非常に手間のかかる手法で行っていました。 まず、糸の白地になる部分を他の糸で括り、防染します。 これで絣の柄となるところだけを染色することができますが、この括りが弱いと染料で白場を汚すという失敗に結びつくため、常に気の抜けない手作業の連続になります。


しかし、八重山上布の美しさは括りのきわにできる色のにじみと絣足にあり、この微妙な色むらが紋様にふくらみを与え、のびやかな琉球絣の特徴となっています。 これが明治の廃藩置県以後になると、八重山上布は産業化の波に乗り、より量産化が求められていきました。


織機は地機から高機へ、さらに改良機へと変わり、染色方法も「地括り式」から直接糸に染料をすり込ませる捺染(なせん)へと簡略化されたと云われています。


糸も手積みの苧麻から紡績糸へと急速に変化していき伝統の括り染めの「地括り式」は次第に失われていくことになります。

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